2020/01/01

 宗圓寺(そうえんじ)は、西本願寺のお寺です。名古屋は西本願寺のお寺が少なく、「なかなか西本願寺の寺が見つからない」といわれます。新たに寺をお探しの方、故郷にお手次寺があるけどこの地でお参りできる寺を探したい方、当サイトをご覧いただきましたらどうぞ、宗圓寺にご連絡ください。名古屋の中心に所在しますから、市内全域はもちろんその周辺までお伺いできます。そして何よりも、丁寧な読経を心がけています。
 宗圓寺ホールは、宗旨や業者を問わずどなたでも葬儀にご利用いただけます。落ち着いた雰囲気で、家族葬や小規模葬に最適です。
 お参りできる場所があることの安心は大きいと思います。新たなご仏縁に感謝いたします。  合掌


春には境内の桜が見事に咲きます
 

2018/05/01

今月の言葉(2018年5月)

 ※「今月の言葉」は、山門(A)と通用門(B)の各掲示板に毎月初めに掲示します。
    (山門脇の「言葉」は、真宗教団連合発行の「法語カレンダー」より)
 ※恥ずかしながら、住職が揮毫した「言葉」を掲示しています。


今月の言葉(A)

「かの如来の本願力を観ずるに
    凡愚[もうお]うて空しく過ぐるものなし
                    (親鸞聖人作『入出二門偈頌』より)


現代語訳
阿弥陀仏の本願のはたらきに遇っものは、愚かな凡夫であっても、いたずらに迷いの生死を繰り返すことはない。

※本願・・・それが完成しなければ仏(真理をさとったもの)にならないという誓いをともなっているので、誓願ともいわれる。阿弥陀仏の衆生救済のための根本となる願い。
※本願力・・・本願にかなって成就された人々を救う救済のはたらき。

本願力に出遇い、お救いの確かさに安心して私たちは不安な日々を迷いながらも暮らすことができるということでしょう。しかも、愚かな私であっても、いや、愚かな私だからこそ、のお救いです。



今月の言葉(B)

「ひまがないとは気がないことよ
       参る気がありゃひまもある
                         (肥後 平島キク師)

上の「今月の言葉(B)」と同じ法語カレンダーの1986年版で見つけた言葉ですが、平島氏については調べても残念ながらどんな方なのかわかりませんでした。

この言葉、誠にその通りと思います。怠惰な私にはとても耳に痛いです。
「いつやるか?今でしょ!」とはなかなかいきません。

永代経法要講師の橋本先生は法話の中でかつて、「忙」とは「心(立心偏)を亡くす」ことと教えてくださいました。「忙しい」は大方、心に余裕のないことを指していると思いますが、ある時は「忙しいこと」が歓迎され、別の時は勘弁してほしい、と使われ方はいろいろです。

そんな中、忙しくしていると何となく充実している気分になることがあります。実は、要領が悪くて仕事が溜まっただけかもしれませんが・・・。ともかくいずれ心を亡くすことになることも知らず、その充実感が自分が正しいことを一生懸命している、自分の行動は間違っていないことの証しと思い違いをし、独りよがりで反省の余裕のない人間にしていることがあるような気がします。というよりも毎日毎日そういう暮らしをしていると言った方が正しい気がします。そして、そういう時に限って、身の回りで誤解やトラブルが起こります。当然です。知らず知らずに自分本位になっているのですから。従ってそのトラブルの原因は自分自身にある、ということがこれまた日常の真実のような気がしています。

 

4月29日 永代経法要、無事勤まる


お天気に恵まれ、今年度の当寺永代経法要を無事に勤めることができました。
前日のご門徒方による荘厳奉仕のお陰で、いつものように仏具はピカピカに磨かれ、手間のかかる「お華束」も1,500個近くの小餅を作って積み上げられてゆきました。ご奉仕の結晶です。(画像上の左下に1対の「お華束」)

ご本尊の阿弥陀様の左側には、過去からの永代経志を進納してくださった方々の法名が記載された法名軸が三幅が掛けられています。(画像上)

連休中の1日であったためか、例年より参詣者が少なかったのが残念でしたが、参詣者全員で唱和する「正信念仏偈」はいつもより大きく、澄んだ声が堂内に響きました。ご法中のお寺様が4名お参りくださいました。(画像下)

勤行(お勤め)は、三奉請・表白・仏説無量寿経から四十八願・念仏・正信念仏偈、そして讃仏歌「聖夜」です。

法話も例年と同じ、遠方(香川県坂出市)から光耀寺住職橋本朗仁先生をお迎えしました。先生は住職の大学からのごく親しい友人です。

2018/03/31

今月の言葉(2018年4月)

 ※「今月の言葉」は、山門(A)と通用門(B)の各掲示板に毎月初めに掲示します。
    (山門脇の「言葉」は、真宗教団連合発行の「法語カレンダー」より)
 ※恥ずかしながら、住職が揮毫した「言葉」を掲示しています。


今月の言葉(A)

「回心えしんというは
  自力の心をひるがえし すつるをいうなり
                    (親鸞聖人作『唯信鈔文意』より)

※回心・・・①悪心を改めて仏の教えに帰すること。②自力の心を捨てて本願他力に帰すること。
ここでは当然、②である。カイシンと読めば、自分の罪を悔い改めて正しい信仰に入るというような、キリスト教的な意味が強くなると思われる。
※自力・・・自ら修めた身・口・意の善根によって迷いを離れようとすること。他力に対する語。
※他力・・・阿弥陀仏の本願のはたらきをいう。
※本願・・・それが完成しなければ仏(真理をさとったもの)にならないという誓いをともなっているので、誓願ともいわれる。阿弥陀仏の衆生救済のための根本となる願い。
※『唯信鈔文意ゆいしんしょうもんい』・・・宗祖が、同じ法然門下の先輩にあたる聖覚の著わした『唯信抄』について、その題号および引用された経釈の要文に註釈を施したものである。



今月の言葉(B)

「この源左はいっち悪いでしあわせだがやぁ
                      (島根県 因幡の源左師)

「浅学菲才の私」「何もできない私」「私のような者が・・・」はよく口にする言葉ですが、どれも「私」を「お前」に代えて他人から言われたら冷静ではいられません。言葉の上ではいくら謙虚であっても、心底自分の至らなさを認めることはとても難しいです。そういう自分に気づかしてくれる存在、自分の物差しとは違う別の物差しを当ててくださる存在を持つことは非常に大事だと思います。
以上は3月「今月の言葉」のところで書いたことですが、「いっち悪い」は上のようにへりくだった表現としてならばまだ言える言葉かもしれません。けれど、次に「しあわせだがやぁ」とおっしゃる。これはどういうことだろか。
「出来の悪い子ほど可愛い」もよく言う言葉ですが、これはそういう子ほど親としては何とかしてやらねば、親の責任で常に見守ってやらねば、という親心の表れでしょう。阿弥陀様のことを親様と呼ぶ理由がこんなところにありそうです。
源左さんは、そんな親様に抱かれていることに気づき、感謝されているのではないでしょうか。

源左さんは「因幡の源左いなばのげんざ」で知られる、妙好人のお一人。天保13(1842)年生まれ、本名足利喜三郎。14歳の頃、土地の習慣により源左衛門と称するようになる。18歳の時、父が急死するが、「おらが死んだら、親様をタノメ」という臨終の言葉をきっかけに聞法に励む。入信は30歳ころといわれる。



《 ご 案 内 》

永代経法要 

 ~先人の願いに耳を傾ける法要~ 
    併修 全戦没者追悼法要・東日本大震災犠牲者追悼法要

今年も永代経法要の時期が参りました。
どなたでも自由に参詣・聴聞できますから是非、ご参詣ください。 詳しくは⇒

 ・ 日時 4月29日(祝) 午後1時~4時
 ・ 場所 本堂(2階) 椅子席
 ・ 法話 香川県坂出市光耀寺住職 橋本朗仁先生
 ・ 荘厳奉仕 4月28日(土) 午後1時~3時 


「住職のレコード棚」コンサート

恒例の住職の趣味を押し付ける催しです。今年で9回目になります。
どなたでも自由にお聴きいただけます。(予約不要、無料)
さて、今年のテーマは?                    詳しくは

 ・ 日時 6月5日(火) 午後6~8時
 ・ 場所 当寺ホール(講堂)

 
〈昨年の演奏曲目〉
 
ミスター・ロンリー(F・プールセル楽団)/ラプソディ(外山雄三作曲、N響)/カチューシャ(D・ダックス)/小鳥はみんな(R・ポップ)/ルール・ブリタニア(BBC響&聴衆)/ファンダンゴ(M・デ・プラタ)/難船(A・ロドリゲス)/砂に消えた涙(ミーナ)/蓮如上人「白骨章」/コル・ニドライ(ブルッフ作曲)/トルコ行進曲(モーツァルト)/ブラック・マジック・ウーマン~ジプシー・クイーン(サンタナ)/インペリオ・セラーノ(渡辺貞夫)/人生よありがとう(M・ソーサ)/ベサメ・ムーチョ(T・L・パンチョス)/ワン・デイ・アイ・ウォーク(B・コバーン)/何日君再来(テレサ・テン)/鳳仙花(加藤登紀子)/影を慕いて(森進一)/ヘッドライト・テールライト(中島みゆき)/夢幻飛行(J.ストリーム楽団)


2018/03/25


続々報 第1回 新栄しだれ桜まつり・・・   


      ・・・来場者多数、盛況のうちに終了


 

広小路交差点のしだれ桜
宗圓寺のしだれ桜



宗圓寺のソメイヨシノと真っ赤なぼけ
マルシェ会場のようす
マルシェ会場のようす


2階の本堂から見たソメイヨシノとマルシェ会場


 




本日3月25日、「第1回しだれ桜まつり」は盛況のうちに終了しました。


  しだれ桜は満開、何とソメイヨシノも例年より早めの開花で7~8分咲き。
  こんな珍しいことはありません。うれしいことはありません。
  素晴らしい光景!
  今年に限っては「しだれ桜まつり」でなく、「桜まつり」でもOKでした。
  加えて好天に恵まれ、当地新栄はまつりには最高の舞台となりました。

  当然来場者も多く、宗圓寺関係者だけでも約30名。
  宗圓寺境内のマルシェ会場は多数の老若男女で賑わいました。

  出店は22店、スイーツ、ジェラート、手作り小物、書き下ろし絵本、
  リラクゼーションマッサージ、ステンドグラスなどなど。

  マルシェ会場周辺の店舗ではそれぞれ特別メニューや、ライブ演奏。

  温かな日差しの中で、多くの方々が笑顔で楽しんでいかれました。
  寺に多くの方々が集ってくださる、何と素晴らしいことでしょう。
  宗圓寺は主催者としてこの企画に関わったのではありませんが、
  この催しが関係の多くの方々によって今後、
  大きく育てられていくことを願います。

  桜を愛する「新栄しだれ桜まつり実行委員会」の皆さん、お疲れ様でした。
                                                                                                                  
                                      合掌



 

2018/03/20

続報 第1回 新栄しだれ桜まつり

3月25日(sun) 11:00時~15:00 ※小雨決行

  マルシェ会場・・・宗圓寺
  花見会場・・・・・・広小路葵交差点付近
  イベント会場・・・周辺飲食店


いよいよ「第1回 新栄しだれ桜まつり」が迫ってまいりました。
宗圓寺境内を会場とするマルシェは、約20の出店が決まったようです。

例えば、

・ジョニーさんのスイーツ工房(主な内容:ケーキ 以下同じ)
・ガレドゥワタナベ(カリカリシュークリーム)
・きらら美濃加茂(さをり織りの小物)
・POLA化粧品(無料ハンドトリートメントイベント)
・ガラス屋おかやま(ステンドグラス雑貨)
・Ochan(植物を使った雑貨)
・PEACE(ミニ缶バッチの手作り体験)
・スマイルスイーツデコ(スイーツデコのワークショップ)
・宗圓寺(無料仏事相談) 

◆出店とは別に、本堂へもご参詣ください


<主催者からのメッセージ>

私たちにとっても大切な桜の木、【これからもこの木が元気に美しい花を咲かせ続けられるように、保全・保守に努めていく】という思いで、活動の一環としてこのおまつりを開催いたしました。
※私たち「しだれ桜まつり実行委員会」は、新栄町に暮らす皆様方との親睦を深め、この地域の発展に尽力いたします。


2018/03/02

今月の言葉(2018年3月)

 ※「今月の言葉」は、山門(A)と通用門(B)の各掲示板に毎月初めに掲示します。
    (山門脇の「言葉」は、真宗教団連合発行の「法語カレンダー」より)
 ※恥ずかしながら、住職が揮毫した「言葉」を掲示しています。


今月の言葉(A)
「本願をききて 疑うこころなきを 聞[もん]というなり」
                    (親鸞聖人作『一念多念文意』より)


これは、『仏説無量寿経』に説かれている「諸有衆生 聞其名号 信心歓喜 乃至一念 至心回向 願生彼国 即得往生 住不退転(あらゆる衆生、その名号を聞きて、信心歓喜せんこと、乃至一念せん。至心に回向せしめたまへり。かの国に生ぜんと願せば、すなはち往生を得、不退転に住せん)」の、「聞其名号」について述べている中での言葉です。
聞即信といわれますように、聞は信心を示します。

※本願・・・それが完成しなければ仏(真理をさとったもの)にならないという誓いをともなっているので、誓願ともいわれる。阿弥陀仏の衆生救済のための根本となる願い。

※『一念多念文意いちねんたねんもんい』・・・専修念仏は一念多念のいずれにも偏執しない、念仏往生の義であることを明らかにしたもの。『一念多念証文』ともいう。
※専修[せんじゅ]念仏・・・南無阿弥陀仏(念仏)を称えることだけを修すること。
※一念多念・・・浄土往生は信心一つで決定する、または1回の念仏だけで決定するとし、その後の念仏を軽視する一念義の説と、一生涯、数多くの念仏を称え、臨終来迎(臨終時に阿弥陀如来がその人を迎えに来ること)をまって浄土往生が決定するという多念義の説。または、両者の論争のこと。


今月の言葉(B)
「我身わるいはどこから知れた おじひの光明に照らされて(小川仲造師)

「浅学菲才の私」「何もできない私」「私のような者が・・・」はよく口にする言葉ですが、どれも「私」を「お前」に代えて他人から言われたら冷静ではいられません。言葉の上ではいくら謙虚であっても、心底自分の至らなさを認めることはとても難しいです。そういう自分に気づかしてくれる存在、自分の物差しとは違う別の物差しを当ててくださる存在を持つことは非常に大事だと思います。
この頃の宗教離れの傾向は、自分以外の物差しを放棄しているように感じます。その物差しは宗教とは限らないかもしれませんが、常に自分の考えは正しいのか、自分に都合の良いことになっていないか、と見つめ直すことのできる場を持つことが大切のように思います。

小川仲造師(1842~1912)は島根県江津市嘉久志生まれ。35歳の頃に愛児を次々に失い、深く無常を感じて熱心に聞法するようになった。妙好人の一人。