2020/01/01

 宗圓寺(そうえんじ)は、西本願寺のお寺です。名古屋は西本願寺のお寺が少なく、「なかなか西本願寺の寺が見つからない」といわれます。新たに寺をお探しの方、故郷にお手次寺があるけどこの地でお参りできる寺を探したい方、当サイトをご覧いただきましたらどうぞ、宗圓寺にご連絡ください。名古屋の中心に所在しますから、市内全域はもちろんその周辺までお伺いできます。そして何よりも、丁寧な読経を心がけています。
 宗圓寺ホールは、宗旨や業者を問わずどなたでも葬儀にご利用いただけます。落ち着いた雰囲気で、家族葬や小規模葬に最適です。
 お参りできる場所があることの安心は大きいと思います。新たなご仏縁に感謝いたします。  合掌


春には境内の桜が見事に咲きます
 

2017/12/01

今月の言葉(2017年12月)

 ※「今月の言葉」は、山門(A)と通用門(B)の各掲示板に毎月初めに掲示します。
    (山門脇の「言葉」は、真宗教団連合発行の「法語カレンダー」より)
 ※恥ずかしながら、住職が揮毫した「言葉」を掲示しています。


今月の言葉(A)
「弥陀の回向の御名なれば 功徳は十方にみちたまう」
                    (親鸞聖人作『正像末和讃』より)

和讃全文
無慚無愧[むざんむぎ]のこの身にて
 まことのこころはなけれども
 弥陀の回向[えこう]の御名なれば
 功徳は十方にみちたまふ

現代語訳
罪を恥じる心がないこの身には、まことの心などないけれども、阿弥陀仏があらゆるものに回向してくださる名号であるから、その功徳はすべての世界に満ちわたっている。

※名号・・・阿弥陀仏の名。南無阿弥陀仏のこと。
※回向・・・一般には、自己の善行の功徳を自身の菩提、または他にさしむけること。浄土真宗では特に、阿弥陀仏が本願力をもって、その功徳を衆生にふりむけること(他力回向、本願力回向)をいう。
※十方・・・すべての方角を表す語。東西南北、上下の六方に、東南、東北、西南、西北を合わせたもの。



今月の言葉(B)
「生きているということは 死ぬいのちをかかえている
ということ」 (東井義雄師)


「正月は冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」。今年も早師走となり何かと慌ただしいことになってきました。来月はお正月ですが、あの一休禅師は正月に頭蓋骨を持って街を歩いたそうです。その真意は・・・。世の無常。しかしながら、その死ぬいのちは、まことに多くの他のいのち、やはり死ぬいのちによって支えられています。さて私たちは、そういういのちをどのように生きるべきなのでしょうか。




<12月8日は「成道会」>

12月は師走と呼ばれ、年末の忙しさから普段は落ち着いている「師」も走る、といわれます。その師は先生か、はたまた坊さん(法師)か、なんて話はどなたもご存知と思います。
その12月の8日は、仏教にとってとても重要な日です。音楽好きの住職にとってはすぐ12月8日は、あのビートルズのジョン・レノンが射殺された日、と思ってしまいますが・・・。もう37年も経ってしまった1980年のことでした。また、76年前の12月8日は太平洋戦争の開戦記念日でもありました。わが国の行く末を考える記念日にしたらどうか、と思うのですが…。
さて、仏教では12月8日は「成道会じょうどうえ」。釈尊(お釈迦様)の成道(仏になること、さとりを開くこと)を祝う日です。先月のここでここで述べましたが、釈尊は35歳の時、インドのブッダガヤにおいて菩提樹下でさとりを開かれました。




2017/11/01

今月の言葉(2017年11月)

 ※「今月の言葉」は、山門(A)と通用門(B)の各掲示板に毎月初めに掲示します。
    (山門脇の「言葉」は、真宗教団連合発行の「法語カレンダー」より)
 ※恥ずかしながら、住職が揮毫した「言葉」を掲示しています。


今月の言葉(A)
「信心の智慧にいりてこそ 仏恩報ずる身とはなれ」
                    (親鸞聖人作『正像末和讃』より)

和讃全文
釈迦・弥陀の慈悲よりぞ
 願作仏心はえしめたる
 信心の智慧にいりてこそ
 仏恩報ずる身とはなれ

現代語訳
釈尊[しゃくそん]と阿弥陀仏の慈悲により、仏になろうと願う心すなわち願作仏心[がんさぶっしん]を得させていただいた。信心の智慧を得ることで、はじめて阿弥陀仏のご恩に報いる身となるのである。

※釈尊・・・釈迦族の聖者である世尊ということ。お釈迦様のこと。約2500年前、インドの釈迦族の王子として生まれ、名はゴータマ・シッダールタ。仏教の開祖。



今月の言葉(B)
「『天におどり 地におどるほどに 
   よろこぶべきことを よろこばぬ』私」(東井義雄師)

「私たちが人のいのちをいただくということは、1億円の宝くじに連続して百万回当たるようなものだ」(遺伝子工学の権威、筑波大学名誉教授村上和雄博士の言葉)と、昨年の当寺報恩講で法話講師の渡辺悌爾先生がお話してくださいました。仏教でしばしば唱える礼讃文(三帰依文)にも「人身受け難し」とあります。





<報恩講とは

※当寺の報恩講法要は11月23日午後1時より本堂にて。どなたでも自由にお参りください。
※先ずは寺の報恩講にお参りし、後日、ご自宅でも報恩講をお勤めしましょう。

《報恩講とは》  報恩講は浄土真宗門徒にとって、一年中で最も大切で親しみ深い行事です。浄土真宗のみ教えを明らかにしてくださった宗祖・親鸞聖人のご命日[弘長2年(1262)11月28日に90歳でご往生]に行う法要だからです。そのお徳を偲んで毎月28日に門徒たちによって、お念仏の集まりが行われるようになり、これがさらに大きく広がって、本願寺第3世覚如上人によって現在の法要の基本ができあがりました。

《すべての寺で報恩講》  報恩講は毎年11月28日を中心に、浄土真宗の全寺院でお勤めします。京都の本山では新暦で1月16日(1週間前から)にお勤めします。

《ご門徒宅でも報恩講》  同時に、ご門徒宅でも近隣の方々が集まってお勤めする伝統がありました。お寺の報恩講にお参りするだけでなく是非、ご自宅でもお勤めしてください。住職がお伺いします。詳しくはお尋ねください。




2017/10/01

今月の言葉(2017年10月)

 ※「今月の言葉」は、山門と通用門脇の各掲示板に毎月初めに掲示します。
    (山門脇の「言葉」は、真宗教団連合発行の「法語カレンダー」より)
 ※恥ずかしながら、住職が揮毫した「言葉」を掲示しています。


今月の言葉(A)
「ねてもさめてもへだてなく 南無阿弥陀仏をとなうべし」
                    (親鸞聖人作『正像末和讃』より)

和讃全文
 弥陀大悲の誓願を
  ふかく信ぜんひとはみな
  ねてもさめてもへだてなく
  南無阿弥陀仏をとなふべし

現代語訳
阿弥陀仏の大いなる慈悲の本願を深く信じ る人は、みなともに寝ても覚めても変わりなく南無阿弥陀仏の名号[みょうごう]を称えるがよい。
※名号・・・仏様のお名前。ここでは浄土真宗のご本尊である阿弥陀如来のお名前であり、「南無阿弥陀仏」のこと。



今月の言葉(B)
「家庭に お念仏の灯を」
         (東井義雄師)

お念仏は「南無阿弥陀仏なもあみだぶつ」と称えること。“灯[ともしび]”はあかり。
お念仏をは家庭を照らし、明るくする。暗い家庭ではいけません。暗くては何も見えません。明るければ私も見えるし、家族も見える。私の“我”も見えるし、仏様も見える。私は照らされていました。
お念仏の灯が灯り続くように、お念仏を次代に伝えましょう。なかなかひとりでには伝わっていきません。財産の相続を考えるように、お念仏の相続も考えたいと思います。財産とお念仏では、どちらが暮らしの基本になるのでしょうか。



<“AMD48”をご存知?>

音楽好きの住職ですが、アイドル系はちょいと苦手。今もAKB48の人気は絶大なのでしょうか。
ところで、AKB48やSKE48ならぬ“AMD48”をご存知ですか。
住職が勝手に命名したのですが、AMiDa48、つまり『仏説無量寿経』にある「阿弥陀仏の四十八願」のことです。
浄土真宗のご本尊である阿弥陀仏が仏になる前の修行中、48の誓願を建て、その願いが実現しないうちは仏にならないと誓われました。「本願」といわれる18番目の願(第十八願)が特に重要で、「すべての人をお浄土に生まれさせる」と誓われた“願”です。

2017/08/31

今月の言葉(2017年9月)

 ※「今月の言葉」は、山門と通用門脇の各掲示板に毎月初めに掲示します。
    (山門脇の「言葉」は、真宗教団連合発行の「法語カレンダー」より)
 ※恥ずかしながら、住職が揮毫した「言葉」を掲示しています。


「願力無窮にましませば 罪業深重もおもからず」
                     (親鸞聖人『正像末和讃』より)

和讃全文
 願力無窮[むぐう]にましませば
  罪業深重[ざいごうじんじゅう]もおもからず
  仏智[ぶっち]無辺にましませば
  散乱放逸[ほういつ]もすてられず

現代語訳
阿弥陀仏の本願のはたらきにきわまりなく、どれほど深く重い罪もさわりとなることはない。阿弥陀仏の智慧のはたらきは果てしなく、散り乱れた心で勝手気ままな行いをするものであっても見捨てられることはない。

※本願・・・それが完成しなければ仏(真理をさとったもの)にならないという誓いをともなっているので、誓願といわれる。阿弥陀仏の衆生救済のための根本となる願い。



「胸に手をあててみる 心ぞうが動いてる 私のために」
                                     (東井義雄師)

息を吸う、息を吐く、私の意志で?
足の裏はどんな気持ちで私を支えている?



<9月は“お彼岸”>

彼岸(かの岸)とは、生死の迷いを超えた“さとりの世界”のことです。迷いの世界である此岸[しがん]に対する語で、梵語パーラミター(pãramitã 音訳「波羅蜜多」)の意訳である“到彼岸”の略です。

秋の彼岸の中心となる「秋分の日」は、祖先をうやまい、なくなった人びとをしのぶ日とされます。

墓前で手を合わせる時、いのちの縦糸を手繰ることができるはず。自分のいのちや生き方に、遠い先祖からの願いが掛かっていることを知るよい機会になることでしょう。


2017/08/30

境内のインド菩提樹
  ・・・NHKテキスト『趣味の園芸』に登場

菩提[ぼだい]といえば梵語ボーディ(bodhi)の音訳で、意訳ならば覚、迷いを離れたさとりの智慧のこと。そして、菩提樹は、お釈迦様がその下で悟りを開かれたことで有名な木です。

菩提樹は宗圓寺境内にも植わっており(本堂南、広小路側 右の写真)、その菩提樹がNHKテキスト『趣味の園芸』8月号に登場しました。

そのインド菩提樹を20数年前に先代住職の要望に応えて植えたのが、前住職の甥にあたる宗圓寺北隣の名古屋園芸株式会社社長小笠原誓さんです。

熱帯のインドでこそ育つこの木を、幼木のころには様々な養生をしながら5mほどまで育ててくれました。ただ、成長には地球温暖化の影響もあるとか。

実際の放送日(8/20)には、テレビカメラによる現地の取材映像が放送されました。


<山門脇の桜>

この菩提樹よりみなさんに親しんでいただいているのが、菩提樹のすぐ東の山門脇にある桜(ソメイヨシノ)です。せっかくですから、この桜についても一言。

この桜を植えたのが、上記誓さんの父上(名古屋園芸創業者、先代社長)である小笠原左衛門尉亮軒さん。住職の叔父です。戦後すぐ、まだ学生の頃のことだそうです。(NHKテキスト『趣味の園芸』創刊500号記念号より)

実際には何本か植えたそうですが、現在の1本が残りました。



本堂・ホール内部を360度画像で公開
        ・・・・・GoogleMapにて・・・・・

このたび、といってもすでにしばらく前からのことですが、当寺の本堂・書院・ホール・食堂など建物内部と境内(山門等)をGoogleMap(ストリートビュー)で、360度画像にて公開しています。

ご遠方の方もGoogleMap上の宗圓寺にご訪問いただき、寺の内部を隅々までご覧ください。

360度画像をご覧になる場合は、こちらから⇒

または、グーグルマップで
      「宗圓寺(西本願寺)」を検索してください。

2017/08/07

今月の言葉(2017年8月)
  
  ※「今月の言葉」は、山門と通用門脇の各掲示板に毎月初めに掲示します。
    (山門脇の「言葉」は、真宗教団連合発行の「法語カレンダー」より)
  ※恥ずかしながら、住職が揮毫した「言葉」を掲示しています。


「金剛心は菩提心 この心すなわち他力なり」 
                 (親鸞聖人『高僧和讃』天親讃より)

和讃全文
 信心[しんじん]すなはち一心[いっしん]なり
  一心すなはち金剛心[こんごうしん]
  金剛心は菩提心[ぼだいしん]
  この心[しん]すなはち他力なり

現代語訳
真実の信心は、すなわち一心である。一心は、決して壊れることのない心すなわち金剛心である。金剛心は、さとりを求める心すなわち菩提心である。この心が、そのまま阿弥陀仏のはたらきすなわち他力である。

 ※一心・・・本願を信じて、二心(疑心)のないこと。本願は阿弥陀仏の衆生救済のための根本となる願い
 ※金剛心・・・阿弥陀仏の本願を信ずる心。他力回向の信心は、阿弥陀仏からいただく信心なので、何ものにも破壊されず、堅固不動であるから金剛に例える。
 ※菩提心・・・さとりの智慧を得ようとする心


「ほんものとにせものは
  見えないところの あり方でわかる」 (東井義雄師)

ほんものは、自分が信じ目指すことを追い求める中で行きつくものだと思えます。にせものは、自分に気持ちよく、他人によく見られたいと外見を取り繕う中ででき上がっていくように思います。そして、自分が目指すものがほんものかどうかがなかなかわからないのが現実です。飾る自分の服を1枚1枚脱いでいきたいものです。自分に都合の悪い評価を大切にするよう心掛けたいと思います。



<8月は盆・・・浄土真宗のお盆>

真宗門信徒は、「お念仏を称える人を極楽浄土へ迎えよう」と常にはたらいてくださる阿弥陀様を深く信じ、み教えを依りどころとしてお念仏申しながら日々暮らします。そして、この世の縁が尽きた時にお浄土に仏様として生まれ、その後は阿弥陀様と同じ仏様のはたらきをさせていただくのです。
お浄土に生まれたご先祖も、仏様として常に私のもとに至ってお浄土へ導いてくださいます。そうすると、お盆の間だけご先祖が帰ってくるということにはなりません。盆にはあらためて、阿弥陀さまやご先祖のおはたらきに感謝してお念仏申しましょう。